第1回 「ひとりの想いが、世界を変える」
矛盾に挑み続け、真のベンチャー精神を貫く、千本倖生氏。
時代を変え、世界を動かしてきた強靭な原動力はどこにあるのか。
そして、本質的な意味での“経営”とは、“ベンチャー”とは、一体何なのか―。
昨今からの経済危機の影響で不安ばかりが先走りますが、千本氏の生き方や働き方の真髄を見れば、誰もが奮起するはずです。どうぞお楽しみください!
今日は第一回目ですし、私が仕事をスタートさせたところからお話させていただきますね。
学生時代は電子工学について学び、大学卒業後は日本電信電話公社(現:NTT)に就職しました。これから情報通信が影響力を持つかもしれないと漠然と思ったのです。いざ入社をしてみると、一番希望していなかった「有線伝送」に配属されてしまいました。内心、非常に不満に思っていました。
でも、今から考えると、ITに欠かせない技術の開発や導入に直接携わることができたので、大きな収穫になっています。

半年ほど、電柱を立てたり、架線を敷いたり、とにかく現場の仕事に没頭していました。現場を知ることは大事な経験ですが、与えられたことをこなしていく毎日に、ふと「このままでいいのか?何か変えなければ」と思うようになったのです。読者のみなさんも、同じような想いに駆られたことがあるのではないでしょうか。
そんなとき、アメリカ留学から帰ったばかりの知人と偶然にも再会しました。彼の話を聞いているうちに興味が湧き、試しに奨学金の資格試験を受けてみました。すると、幸いにも合格することができました。
けれども、私は会社に無断で受験していたのです(笑)。無理かもしれないと思いつつも、会社に留学の許可を申し出てみました。案の定、すぐには受け入れられませんでしたが、理解ある上司のお陰で、会社に籍を残しながら留学することが許されました。
ちょっと想像してみてください。その頃は、まだ1ドルが360円もしていた1960年代です。私の目には、アメリカにあるものすべてが新鮮に映りました。そして、もっとも衝撃を受けたのは、意外にもルームメイトからの一言でした。「私は、日本で唯一最大の電話会社で働いていたんだ」と意気揚々に話すと、“つまらない人生”と彼から一撃されてしまったのです(笑)。
当時の日本には、今のようにベンチャーという言葉すらありませんでした。けれども、アメリカで暮らすうちに、リスクを取ってでもチャレンジすることこそ評価されるという今までにない価値観を知りました。私のように独占企業体のような大きいものに追従するよりも、新しい事業を自ら興すべきだと考えられていたのです。この価値観との出会いは、その後の私の人生の起爆剤になりました。
今は価値観が多様化しているので、読者のみなさんは違うかもしれませんが、当時の私は大学卒業後に大企業へ就職するということに少しの疑問も持っていませんでした。
ところが、留学を通じてそれまでの自分の考え方が通用しないことを痛感し、世界に目を向ける重要性を学びました。たとえばトヨタやキヤノンなど、日本でも世界のマーケットを意識していた企業は、驚異的な成長を遂げています。
日本のいい部分を残して、世界を取り入れる。この両方を行うことが大事なのだと思い知らされました。

帰国してからも、“つまらない人生”というルームメイトからの一言は消えることはありませんでした。そして、ついに18年勤めた日本電信電話公社(現:NTT)を退職することにしました。部長という肩書きも得た、42歳の厄年でした(笑)。
その頃、日本の情報通信分野の成長率は、たったの数%です。対照的に、アメリカは二ケタの急成長をしていました。日本電信電話公社は民営化したけれど、それだけでは不十分でまだなお独占状態にある情報通信分野に異議を唱えたいと考えていたのです。
京セラの創業者である稲盛和夫氏に相談し、資金援助を受け、1984年、第二電電株式会社(現:KDDI)を創業しました。情報通信分野でライバル会社を作ることは、昨今のベンチャー企業にありがちなニッチ産業での対抗とはレベルが違います。99%つぶされるだとうと誰もが思っていました。それでも、私は世の中のために必要な事業だと揺るぎない確信をしていました。
どんなに巨大なことであっても、壮大なことであっても、はじまりはすべて頭の中です。読者のみなさんもあまり些細なことにこだわらず、高い目線で大きなことを考えて、自分の人生を描いてください。たったひとりの人間が考えたことで、世界を変えることだってできるのです。








