第2回 「人間が最も磨かれる道を選べ」
40代にして大手証券会社からソフトバンクへ“転職”を果たし、1999年ソフトバンク・ファイナンスを設立。
現在はソフトバンクから独立し、約80のグループ会社を傘下に有するSBIホールディングスのCEOを務める北尾吉孝氏。
昨春にはSBI大学院大学を開校し、日本における有為な人材の育成に取り組んでいる。
そんな北尾氏がどのような青年時代を過し、仕事と向き合い、成功を遂げてきたのか―。
雇用問題が取り沙汰される今、北尾氏とともに「仕事は何なのか?人生とは何なのか?」を4回に渡って紐解いていきます。どうぞお楽しみください!
前回、お話させていただいたように、私は大学卒業後、野村證券に入社をしました。そして、土日も関係なく勉強し、一所懸命に仕事をこなしました。社会人になって、特別に大きな失敗や挫折を味わったことはありませんでした。
ただ、上司と衝突することはしばしばありました(笑)。私は、目上の人でも物怖じせずにはっきり言う質なのです。それに、議論をしたら簡単に負けないですからね。社内では付き合いにくい奴と思われていたかもしれません(笑)。

入社前の面接で、野村證券でどんなことをやりたいかという質問をされました。実際にやってみないと自分にどんな仕事が合っているかわからないけれども、金融業界や日本、世界における野村證券の位置づけを常に考えて行動したいと私は答えました。入社後もこの言葉通り、自分が従事している目先のことだけでなく、大きな視野を持って仕事に励みました。それから、イギリスのケンブリッジ大学に2年間留学し、さらに私の視野は広がったように思います。
孔子は自身の志について、「志易ければ足りやすく、足りやすければ進むなし[理想を目指してそれに到達しようとする意思、すなわち、志の高さや厳しさによってやろうとする心、自らを律する心も変わってくる]」と述べています。とかく自分がやっている目の前のことばかりに気を取られてしまいがちですが、高い志を持って臨むことが大事なのです。
1978年にケンブリッジ大学経済学部を卒業し、海外投資向けに企業分析のレポートを行っていました。その後、金融の中心地であるニューヨークに移りました。私の期待とは裏腹に、アメリカは偉大な国である一方、偉大な田舎者で、グローバルの視点は皆無でした(笑)。アメリカ国内に投資対象が膨大にあるので、為替リスクがある日本株をあえて買う必要性などまったく感じていないのです。そうした逆境の中、それまでになく苦労をしましたが、1日の商い800億円といういまだに破られていない売上記録を達成し、まさに「艱難辛苦、汝を玉にす」、苦しい経験を通じて人間的に成長することができたと思います。
そして、1989年、野村證券が資本参加と業務提携をしていたワッサースタイン・ペレラ社のロンドンでの常務に任命されました。当時は米国のM&AにおいてNo.1を誇る投資銀行です。その後、野村證券がワッサースタイン・ペレラ社と合弁で設立したM&A業務専業の野村企業情報株式会社の取締役に就任しました。ところが、 野村證券に大不祥事が起き、敬愛していた田淵義久社長が退陣を余儀なくされてしまいました。
残念ながら、私から見て、次期社長は野村證券の将来を任せるような人物とは言い難く、これで野村證券は終わったと思いました。ソフトバンクの孫社長には、うちに入社するために野村證券で修行をしてきたのではないかと言われたのですが、そんなことはまったくないんです。あの大不祥事さえなければ、私は間違いなく野村證券にそのまま居続けていました(笑)。

当時、今後の自分の進むべき道について考え始めていると、数々の外資系企業から驚くような金額でオファーを受けました。そんな時、孫正義氏から「1分だけ話をさせてくれませんか?」と声をかけてきたのです。彼は私にソフトバンクに来てほしいと言ってきました。孫氏とはソフトバンクの株式公開後に担当部長として知り合っていたのですが、彼の琴線に触れるようなことが彼との会話の中にあったのでしょう。
私は「10日だけ時間がほしい」と返事をし、野村総合研究所の図書館にこもり、マルチメディアについて書かれた新聞や書籍を読み漁り、情報をかき集めました。そして、孫氏の才覚も然ることながら、この業界は必ず伸びると確信し、1995年、44歳にしてソフトバンクへ“転職”することに決めたのです。



